• 藤井厚二が京都帝国大学の同僚だった喜多源逸のために設計した邸宅。1926年(大正15年)竣工。およそ300坪の敷地に建つ木造瓦葺き2階建て。施工はのちに聴竹居や八木市造邸も手がける大工の酒徳金之助。2006年(平成18年)国・登録有形文化財。

    藤井厚二が設計した住宅のなかで京都市内に現存する数少ないもののひとつであり、一部改築されてはいるものの保存状態は極めて良好で、藤井の「日本の住宅」にこめた想いを現在に伝える貴重な歴史的・文化的資産として近年再評価されている。北隣にはヴォーリズの設計による駒井家住宅(昭和2年建築)、南隣には増田友也の設計による小林家(旧古川邸)が建ち、北白川が「学者村」と呼ばれた頃の貴重な住宅建築遺産を今に伝えている。

    2016年に住宅遺産トラストを介して継承。

    2022年よりRelevant Objectの展示スペースとして主屋を活用、現在京都市内で見学可能な唯一の藤井厚二建築。

  • 燃料、人造繊維、合成ゴムなどの研究で知られる工業化学の研究者。アジア人で初めてノーベル化学賞を受賞した福井謙一教授の先生にあたる。母校の東京帝国大学の助教授を経て、1922年(大正11年)京都帝国大学教授となり、1930年(昭和5年)京都大学化学研究所長。1948年(昭和23年)浪速大学(現大阪府立大学)初代学長。日本化学会会長をつとめた。奈良県出身。著作に「油脂化学及試験法」など。妻の襄(じょう)は文豪幸田露伴の妹 幸田延に師事したヴァイオリニスト。同志社女学校の器楽教授を務める傍ら、自宅でヴァイオリン教室を開いていた。京都帝国大学の同僚で交友関係にあった駒井卓に誘われて隣接する土地を購入したと云われている。

  • 1888年(明治21)に現在の広島県福山市の造り酒屋の次男として生まれる。1913年(大正2年)、東京帝国大学工学科建築学科を卒業、竹中工務店に設計を担当する最初の帝大卒の社員として入社し「大阪朝日新聞社社屋」などを担当。新聞社側の顧問を務めていた建築家・武田五一と出会い、1920年(大正8年)、藤井は武田が創設した京都帝国大学工学部建築学科に講師として招かれ、日本の伝統的な住まいで経験的に行われてきた日本の気候風土にあわせる建築方法を科学的な目で捉えなおしていった。さらに、自ら着目し理論化した環境工学の知見を設計に盛り込み、大山崎町の約1万2千坪の土地(山林)に居住、実証、改善を加えながら自邸を実験的に次々と建てていった。

    「真に日本の気候・風土にあった日本人の身体に適した住宅」を生涯追い求めた藤井が、その完成形とした第5回住宅「聴竹居」は現在も京都府大山崎町に現存し、2017年(平成29年)に国の重要文化財に指定された。

  • 所在 Location:京都市/ Kyoto

    竣工 Year Completed:1926年

    構造 Structure:木造2階建 Wooden two-stories

    設計 Architect:藤井厚二 Koji Fujii

    施工 Contractor:酒徳金之助 Kin-nosuke Sakatoku

    延床面積 Total Floor Area:225.75㎡ (約68.28坪)
    Approx. 2,430sqft

    敷地面積 Total Land Area:929.07㎡(約281.04坪)
    Approx. 10,000sqft

    竣工時の用途 Tyep :住宅 Residence

Photo: Takeru Koroda
Lighting by gallery KITASHIRAKAWA and Ru-Pu

 

竣工時の間取り図

旧喜多邸の四季